2021.2.14(日)
おばあちゃん
朝、母から連絡が入り、おばあちゃんが亡くなったそうです。
年明けくらいから体調を崩し、施設から救急搬送されて入院していたのですが、もうこれ以上の延命措置はやめて施設に戻ったと3日くらい前に母から連絡があったので、元々今日の午後に会いに行くつもりでいました。
・・・けど、朝に亡くなったと連絡が。
間に合わなかったかぁ・・・。
施設に入っていて、ずっとコロナで面会ができない状況だったので、最後に会ったのは去年のお正月かな。
もう1回、最期に会っておきたかったな。
我の強い人で、人の話を聞かない人だったから、家でも煙たがられることが多かったけれど。
小さい時からずっと一緒に暮らしてたから、こうなってみるとやっぱりいろいろと思い出すことはあるわけで・・・。
優しくしてあげられなかったことの方が多いし、キツい事もたくさん言ったなぁ
今までにも何回か「もう長くもたないかも」って言われてきたけど、そのたびに乗り越えて随分と長生きをしました。
ここまで生きたら、大往生なんじゃないでしょうか^^
あたしが覚えてる限り、昔からずっと家にいることが多くて、狭い世界で生きてた人だなぁと思うけれど、おばあちゃんはおばあちゃんなりに楽しい人生送れたのかな?
あたしも、人生最期の瞬間に「楽しい人生だった!」って自信を持って言えるように生きなきゃなぁ。
今日は昼間に長男の漢字検定があったので、送迎の待ち時間に次男と2人で近くの川沿いで遊んでました。
暖かくていい天気だったので、外が気持ちよかったです☆
川を眺めながら、外の空気を感じてボーっとするって、いいなぁ。
こんな時だから余計に。
漢検が終わってから、子どもたちにお昼ご飯を食べさせてあたしだけ実家へ。
もっとバタバタしてるかと思ったけれど、もうおばあちゃんも高齢で葬儀に呼ぶ人もいないし、コロナだし、ということで家族だけで送り出すことにしたのもあって何だか手伝うことも特になく
まだ施設から帰ってきてなかったおばあちゃんに会いに行って、冷たくなった身体に手を添えて「お疲れさま」と「ごめんね」を伝えてきました。
何より救われたのは、施設のスタッフの方たちがほんとにいい方たちで・・・。
「ここではこんな風に過ごしてたよ」とか「こんな話してくれてね~」なんてことを、数回しか会いに行けなかった孫のあたしに話してくれました。
「家に帰りたい」と言っているのを聞いたことがあるから、施設に入れたのはかわいそうだったのかな、と思ったりもしてたけれど、あれだけ優しいスタッフさんたちがいてくれたなら、きっと幸せだったよね。
あのまま家にいて家族に邪険にされるより、話を聞いてくれて優しく声をかけてくれる人に囲まれてた方が、おばあちゃんにとってはよかった・・・うん、きっとそうだ。
ただ、少し後悔してる部分もあります。
それは、小さいうちにもっとおばあちゃんにいろんな話を聞いておけばよかったということ。
昔少しだけ話してくれた、戦時中の話。
おばあちゃんがどんな人生を歩んできたのかということ。
もう、今となっては知る術がないけれど。
そんなことを考えていたら、今のうちに自分のルーツを調べておきたくなりました。
いつかは、あたしの父も母もいなくなる。
その前に、おじいちゃんやおばあちゃん、その前のご先祖様のこと、わかることは調べてみたい。
そしてそれを子どもたちに伝えていきたい。
そんなわけで、家系図、作ってみようと思いつきました☆
どこから手を付けたらいいのかわからないので、まずはそこの勉強からだけどf^^;
せっかくおばあちゃんがくれたチャンス、最後までしっかりやり遂げたいです。
私の父親は自分の人生を年表のように書き残していました。私とはあまり仲が良くなくて、知らないことはない存在だと思っていたけれど、初めて知った出来事が結構多くて、昔の自分の態度を反省させられたりしました。
ウィーンに来てから、暇な時間が多くなって、あれこれ考えていると、これまで気づかなかった、家族だけではなく、いろいろな人の生き方が見えたような気がします。
これを機会に、身近な人たちといろいろ話をしてみたら? 新しい発見が、いっぱいあるはずです。
お父様、素晴らしいですね!私も自分史を作りたいなと思ったことはありましたが、やっぱりあると後に遺された人はいろいろ知れていいものなんですね。
今回の祖母の死を通して、今表に見えている部分だけでなく、みんな人それぞれにいろんな人生を生きて来て、いろんな想いを抱えているんだということを痛感しました。いなくなってからでは知りようがないことが、たくさんあることも知りました。夫や両親、親友がどんな人生を歩んできたのか、どんな経験や想いを抱えてきたのか、これからたくさん話を聞いていきたいと思います!